身辺記

介護日誌

団塊ジイさんのナガラ介護日誌 干場革治(「アクション"介護と地域″」世話人)

 
第2回

◎介護人、東海道走るも、房総に“亡走”出来ず!(2019年元旦)
昼と夕方30分ずつヘルバーさんが食事と服薬介助に来てくれ、昼食と夕食は宅配弁当が食卓まで届き大分楽に。朝一緒にパンとお餅をそれぞれ食べて、具沢山の二種類の特製スープと果物、私はコーヒー、妻は甜茶を飲む。果物はバナナ、皮付き種無しブドウ、カットパインが面倒臭くなくていい。日清医療食品の1食5百円の冷凍弁当は味が薄く不味いと止めたが、妻は区の社会福祉協議会の、ご飯とおかずは別々の三段重ね、お碗入り味噌汁付き、490円の弁当は、ばらつきがあると言いながらも食べる。見守りを兼ねテーブルまで運んでくれてこの値段。週に2度在宅リハビリ、「理学療法士がイケメンだ」と妻はニコニコ、看護婦と薬剤師が週一度、医師が隔週に一度訪問。朝食は私が用意するので泊まりがけの出張や旅行は無理だが、新幹線での日帰り出張は大丈夫、どうにか仕事は続ける。酔っ払って鍵無しの玄関ドアを開けると、妻は無事に寝息を立てている。
 
房総の古いリゾートマンションを安く手に入れ、娘達はたまに利用、鴨川シーワールドやマザー牧場は孫息子も大好きだが、私は行けず。妻は歩行器や車椅子だけでなく、手摺も増やし、ヘルパーさんや看護士、薬剤師、医師の訪問サービスも始まる。介護弁当も昼と夕食に宅配され、一息付く。以前の様に朝食もお米を研ぎ、ご飯のスイッチを入れ、レトルトのカレーや鰻を湯煎して丼ご飯をつくって貰い、作りおきの具沢山のスープやカットフルーツを用意すれば、朝も一人でどうにかならないか?週末泊まりがけでオーシャンビューの書斎で読書三昧、朝夕は海岸通をサイクリング、潮騒を聴きながら浜辺を散歩、夜は江見の一駅鴨川寄りの太海の別荘で棚田と素潜り三昧の中学・高校同期、千葉市に住む龍角散OBの加賀君と一献傾ける「房総族」は出来ないか?土曜日朝、食事を食べさせ、風呂に一緒に入り三助する。互いのお腹の出具合にあらためて歳月を感じる。信州八方尾根スキー場の山頂直下、黒菱平の白い急斜面で出会って半世紀近く、一人ではこんなにも出来ない。前夜の酔夢は吹き飛ぶ。房総に“亡走”出来ず。

11月下旬の3連休、幸い天気予報では山は雪。泊まりがけが無理なら、半日でも日帰りスキーを楽しめないか?時にゆるく、時にエッジを効かせ鋭く、白無垢の処女雪にシュプールを描き、絶壁に身を翻し、粉雪を撒き散らしジャンプ。スピードとスリル、ダイナミズムを堪能出来るのは活きている証。23日からオープン予定の、越後湯沢のかぐら三俣スキー場に電話するが、まだ20センチくらいの雪で滑走は無理という。11月3日の文化の日に紅葉狩りに行き、ジーンズと革ジャンでスキーを楽しんだことのある、谷川岳天神平スキー場にも電話するが駄目という。リュックに海パンを入れ、月島まで一駅分サイクリング。久し振り図書館で日経ビジネス、プールでノンストップで40分、1000m泳ぎ、三越までチャリ散歩。キッチンオリジンの惣菜をあてに一杯だけでは飽きる。デパ地下で惣菜弁当を買って帰る。経済誌とプール、チャリンコの、久し振りゆったり落ち着いた休日。
 
◎介護人も息抜きが必要、正月休みはショートステイ(19年冬)
妻が一夜にして5段階ある要介護の1から4に症状が急変、一人では寝返りも起き上がりも出来なくなる。近くの病院に2度入院しリハビリ、どうにか起き上がることは出来るようになる。室内は歩行器を使って移動、車椅子に座って食事したりテレビを観たり、本や新聞を読む。どうにか起き上がれてもブラジャーのホックは掛けられない。ブラジャーなんか必要なの?というが、百円ショップで買った笛の「ピ〜ッ」で呼ばれる。週2、3回ずつ慣れない手付きで掃除、洗濯、買い物も。毎朝食事をつくって一緒に食べ、BSでNHKの朝の連ドラ福ちゃんを観て、近くの娘のマンションに寄り、もうすぐ4歳の孫息子と保育園に「同伴出勤」。昼食と夕食は見守りを兼ねて宅配弁当が食卓まで届き、ヘルパーさんが食事と服薬の補助で30分ずつ来てくれる。洗面とトイレは一人で大丈夫。私が酔っ払って帰宅するとスヤスヤ寝息を立てている。
 
訪問リハビリと薬局の服薬指導、訪問介護がそれぞれ週一回、隔週に一回医師の訪問診療、週2回リハビリも兼ねデイサービスに通う。リハ明石という区立中学を中央区とUR(都市再生機構)が共同で再開発、中学校と介護施設、保育園などが併設された複合施設。同様の施設は区内に幾つもあり、URには仕事でも介護でも大変お世話になる。施設の送迎バスが朝夕マンションの駐車場まで来てくれる。私が孫息子といそいそと同伴出勤後の、部屋と駐車場間の車椅子での移動はヘルパーさんが介助。デイサービスでは昼食があり、入浴も。介護保険制度なしでは老々介護は成り立たない。私も働けず共倒れだ。
 
廊下や洗面、トイレ、風呂には手すりをつけ、入浴用の椅子をレンタル。これらの設置費用や介護ベッドなどのレンタル料金も介護保険を利用、本人負担は1割。随分助かる。かつて「介護の社会化」を叫んだ甲斐があった。週末、スキーもゴルフもない日は一緒に風呂に入り、妻の背中を流す。手摺や椅子があっても一人では入れない。「三助させるためにT大に入れた訳ではない!」と墓場のオフクロは嘆きそうだが。悪いなりに生活パターンも確立、介護保険制度に助けられ、どうにか仕事と介護が両立できているが、泊りがけの出張やスキー、旅行は出来ない。年末から8日まで近くのケアハウスにショートステイして貰う。今回は年寄りが多いのでご飯が少なかったので多くして貰った、何でも手伝ってくれるので、断って自分でするようにした。今回は自分でトイレ出来るのにオムツさせたり、食堂で裸でオシッコするようなお婆ちゃんもいなかったと、マズマズだったよう。
 
暮れの30日はホームコースの埼玉の小川カントリーで仲間と2組、打ち納め。カートに乗らず歩くゴルフ。そのまま関越道を北上、大晦日と元日は小3の孫娘と越後湯沢でスキーを楽しむ。2日の明け方関越道を南下、小川カントリーで2組の打ち初め。買い出しや高齢者講習付の運転免許の更新、久し振り図書館で経済誌を読み、プールで泳ぐ。6日東京駅3時ジャストの外房線特急に乗る。勝浦と鴨川で鈍行を乗り継ぎ、2時間15分ほど「動く書斎」で読書、久し振り南房総の江見着。新幹線利用の越後湯沢と違い倍の時間がかかるが、本が読めれば苦にならない。東京駅のデパ地下で買った惣菜弁当で一杯やって潮騒が眠剤。介護騒動勃発以来久し振りの房総。自転車は錆だらけ。マンションの玄関ドアはギーギー。近くのホームセンター・コメリで自転車用の油を買って注すとドアは泣き止むが、自転車はギアチェンジ出来ず。白神育ちの海彦はそれでも海岸通りを少し走り、浜辺に降りて磯の香りを嗅ぎ、潮騒を聴く。オーシャンビューの「書斎」で読書、少年の日々が蘇る。昼に隣町の太海の別荘で百姓三昧の中高同期の加賀君が「獲れたての大根持って行くぞ!」というが、まともな料理はしないので大根は断り、近くの漁師食堂「金七」で二人で房総族。昼酒も楽しむ。8日から休みなしの老々介護の日々が始まる。
 
◎ながら介護?人生百年時代の「受援力」(19年春)
3月14日の日経新聞で「人生100年時代」は「家族と同居している場合は『ながら介護を受け入れることも大事』と樋口恵子さん(高齢社会をよくする女性の会)。家族が仕事をしながら介護する、ときに休息を入れながら介護する。介護が長期にわたると、家族も高齢者自身も互いに行き詰まってしまいがち。介護離職する原因にもなる。『(自宅の外で介護を受ける)ショートステイやデイサービスも上手に利用するのが、大事な心構え』と説く。デイサービスの他、10日なり2週間なり妻を介護施設に預け、海山に遊びスキーや素潜り、ゴルフや海辺で読書三昧、孫娘と身近な海外ツアーを楽しんだり。多少後ろめたさがない訳ではない。我が意を得たり。介護人にも息抜きや気晴らしは必要。働くことも大事。気力、体力、経済力が続かない限り、介護も続けられず、共倒れだ。
 
日本人の平均寿命は男81.1才、女87.3才、100才超も7万人。人生100年時代だが、平均寿命と健康寿命の差は縮まらない。人間、オギャーと産まれて、自分で自分を養えるようになるまで何年?養って貰うだけではない。親には育てる悦びを与える。年老いてその逆を生きる。介護人が貰う悦びもある。
 
保育所があれば「託老所」がある。平均寿命と健康寿命の差を支えるのが介護保険制度。保育の社会化と介護の社会化。大変な時期を家族以外の支援も借りて乗り切る必要。援助を上手く利用する力を「受援力」というらしい。恥かきを楽しみながら生きて72年、妻70才。あと何年続くか?「支えられ上手」になり、「受援力」を発揮したい。
 
干場 革治(ほしば かくじ)
職業:営業コンサルタント、顧問企業多数
1946年:秋田県山本郡八峰町八森(旧岩舘村)生まれ
1966年:東大教養学部文科Ⅰ類入学、75年法学部政治コース卒業後に同大学法学部私法コース学士入学、1977年中退。
69年11月佐藤訪米阻止闘争で7回目の逮捕・勾留、起訴、76年1月保釈。1年半の実刑、2審で3年の執行猶予、猶予期間の経過で刑の宣告は失効。
趣味:スキー、ゴルフ、水泳、サイクリング、ドライブ、読書、歌舞伎鑑賞、海外旅行
特技:素潜り 

 
第1回

<はじめに>
長年連れ添う妻が要介護に。かつて「介護の社会化!」を叫び介護保険法制定を求める運動の末席に連なった元全共闘の団塊老人が、図らずも介護保険制度の恩恵を受ける立場に。老夫婦二人の家庭に突然訪れた老々介護の危機を、働きナガラ、孫の子育てを楽しみナガラ、遊びナガラどうにかしのぎ、在宅から施設介護へとその場面を変えナガラ、今も、そしてこれからも続くだろう赤裸々な体験記です。
 
◎2018年春 妻70歳、手足痺れ・震え、生活に支障。要介護1に
長年連れ添う2歳違いの妻も70歳近く。娘の近くに引っ越し、孫の面倒を共にみながら余生を送る筈が、学校給食の栄養士の仕事を辞めると足が痺れる、痛い、幻聴がすると。鬱から統合失調症の診断。夫婦の間も険悪に。手も強く震え、パーキンソン病の検査。症状が似る原因不明の病気「本態性振戦」の診立て。日常生活にも支障をきたし、素人が半分出来合の調理済み食品に手を加え、料理のプロに食事を作り置く事態に。介護認定を受けると要介護1の判定。同居なので受けられるサービスは少ない。共倒れにならないためにはどうするか?
 
◎18年秋 一夜で要介護1から4に!老々介護、共倒れの危機
朝5時前に起き、読み残しの前日の日経新聞を広げ、5時半から朝食を用意。自分用のレーズンバターロール1個と妻の好きな切り餅をオーブンに入れ、チンというと先ずパンを取り出し、もう一度セット。程好い時間に設定しないとパンは黒焦げ、お餅はパンク。スーパーで買った「白菜だけ入れればクリーム煮」に、白菜だけでなく「豚肉だけ入れれば豚汁」の野菜パックと冷凍のロールキャベツ、ベーコンを刻んで入れた「自己流ロールキャベツと白菜のクリーム煮」を暖め、コーヒーを淹れ、1本のバナナを分かち合う朝食。TVでニュースを追い、朝日新聞を広げてのナガラ食。飽きないように目先を変え、「玉子を入れれば蟹スープ」に玉子だけでなく、絹ごし豆腐、海老とイカ、アサリの冷凍海鮮セットとキャベツも刻み作り置く。更に有名シェフが監修した冷凍餃子を入れ、具沢山「蟹風味スープ餃子」や「あさりご飯の素」に「豚肉だけ入れれば豚汁」の野菜パック、白菜、冷凍のチキンナゲットを入れ、塩糀や年中作り置きのオデンの出汁を入れるなど。美味しい!美味しい!と自画自賛。元学校給食の栄養士にも美味しいとおだてられると、料理人になるんだった、人生を間違えたと真顔で応える。
 工夫して作り置きした「手料理」を温め、餅をチンして昼、夜と食べ、どうにか風呂も自分で掃除して入浴、私が酔っ払って帰る頃には寝息。8月3日の金曜日まで体の不自由さに耐え、杖や手すりも使ってどうにか自立生活。
 
要介護1の妻が、翌土曜日の朝突然、起き上がることも寝返りも出来ないという。トイレも一人で行けない。食事も自分だけでは摂れず、一人では何も出来ない。手足の痛みがひどく、眠剤を使っても目を覚まし、十分眠れない。5日の日曜日、仲間と埼玉の小川カントリーでゴルフを楽しむ予定もドタキャン、土日付きっきりで妻の面倒をみる。介護保険を利用、外出用に車椅子を1台借りるが、室内用にもう1台借りるのも間に合わず、室内の移動にも使う。妻は一人では動かせず、私に連絡がつかない時は、大声も出せず、這って出て来る始末。運動機能の急な衰えは予想出来ず、痛みも益々ひどくなるよう。困惑するばかり。
 
月曜日は三楽病院の神経内科の主治医の先生が東大から診察に来る日。仕事の予定をキャンセル、車を走らせ、予約なしで病院へ。半日待っての診立ては、手足の震えはパーキンソン病か本態性振戦、歩行などの運動機能の衰えは、レビー小体型認知症で、急に様態が悪化したのは薬の飲み間違いではないかと、あらためて薬を処方。だがこのままでは老々介護で共倒れになる。出来ればどこかに入院するか、介護施設に入れて貰うしかないが、急には手当出来ない。娘が近くに住むが、忙しく働きながら、子育て中。私が介護するのでは、仕事が出来ず共倒れ。進退きわまる。
 
6日の夕方から7日一杯は偶々休暇中の息子に家に来て世話をして貰う。今年も早めにお盆休みを取り、9日から13日まで、故郷白神の海で小学3年生の孫娘と素潜りツアーの予定で、8日から14日までは近くの介護施設にショートステイする予定。その間に当座世話して貰える病院か介護施設をケアマネージャーに探して貰うが、みつからない場合の備えも必要。介護保険を利用、ヘルパーさんに来て貰うという手もあるが、介助毎の短時間利用で、半日とか一日世話をして貰うという訳にはいかない。それでは仕事が出来ない。娘が利用している家政婦さんの派出所がシルバー対応してくれるという。最悪、日中は家政婦さんに来て貰い、夜は自分が面倒見ればいい。娘に手配を頼む。最悪どうにかなると一安心したところで、目と鼻の先に出来たばかりの病院の個室に空きが出来たと、ケアマネさんから吉報。築地の聖ロカ系列の小さな病院で、差額ベッド代一日2万円だが、背に腹は代えられない。当面の危機は脱出。妻の様態が急変したので要介護認定を再申請、1から5まである内の4、「重度の介護が必要な状態」に。
 
◎18年晩秋 妻帰る
8月3日(金)の夜から4日(土)の明け方にかけ妻の容態が急変、寝返りを打つことも、起き上がることも叶わず、介護する者もされる者も、窮地に。仕事をこなしながら、妻の世話に追われる。9日(木)から13日(月)の孫娘との故郷・岩手白神素潜りツアーに合わせ、予定通り8日(水)から13日まで、近くの介護施設にショートステイ、一息つく。
 
旅行中にケアマネージャーが必死に世話してくれる施設を探してくれ、ショートステイが終ると、近くの新設の病院に。差額ベッド代1日2万円はきついが、老々介護で共倒れになるよりはいい。しばらくして、近所の別の介護施設にショートステイ。適当な有料老人ホームが見つかるまでショートステイ出来る介護施設を探し、つなごう。5段階ある要介護の重度が二番目の4だから入所が難しい特別養護老人ホームも入所しやすいのではないか?とこちらも申し込む。ショートステイを繰り返す積りで二週間入った最初の施設で、「非人間的な姥捨て山には住めない」「家か病院に戻りたい」と妻。大部屋なので訳のわからない人が勝手に入って来る。裸の女の人が食堂でオシッコする。ただ寝ているだけでは悪くなるばかりだと。レビー小体型認知症だ、パーキンソン病だとか言っても、運動機能に問題があるだけで、認知機能にさほど問題がある訳ではない。耐えられないという。
 
幸い空きが出来て病院に戻り、差額ベッド代2万5千円の部屋に。そんな部屋に長くいるほどリッチではない。必死にリハビリしたお陰か歩行器を使って歩き、トイレも自分で出来るまで回復。あらためて高齢者専門の順天堂江東病院で診て貰う。パーキンソンでも、レビー小体型認知症でもなく、脊椎梗塞ではないかという。色々検査してみるが、脳のCTを撮ると左脳に梗塞、右手足に障害。それなら一晩で突然寝返りも、起き上がりも出来なくなるのも納得がいく。だが、入院先の担当医は脳梗塞にしては運動機能の回復が早過ぎると言う。脳に梗塞があるのは事実だが、真相は藪の中。
 
どうにか家で生活出来そうと、10月26日に退院、爺婆二人の生活がまた、始まる。宅配食やヘルパーさん、訪問介護、訪問リハビリ、施設でのデイサービスなど、介護保険のサービスを使うには手続きに時間。取り敢えず私の介護でしのぐ。退院当日早朝、近くのスーパーマルエツで買い出し。3種の茸入り、具沢山の塩、醤油、味噌味のスープとオデンを用意、朝10時のアポをこなし、事務所で一仕事の後、病院へ。介護用品を届けに来た介護用品屋の担当者に歩行器とスーツケースを車で運んで貰い、青空の下、車椅子を押し退院。ケアマネージャーと打合せ、妻の好きなお餅をレンジ、初訪問のヘルパーさんにも手伝って貰い、私の「手料理」を食べさせ、夕方6時半の銀座木曽路での会食に駆けつける。珍しく二次会もこなし遅く帰ると、妻は介護ベッドの上で無事寝息。
 
土曜日、朝はパンがいいというので、一緒にパスコのレーズンバターロールを温め、特製スープとカットパイン、自分はコーヒーを淹れ、妻には甜茶を飲ます。昼は久し振りご飯を炊き、パック入りの鰻の蒲焼きを湯煎、鰻丼をつくる。マルエツで買ったほーれん草の煮浸しや白和えも。4時から私の事務所で「全共闘50周年」の月一の打合せと飲み会。レトルトカレーのパックを台所に出し、3時に家を出る。酔っ払って帰ると、無事介護ベッドの上、2日目もどうにか終わる。日曜日はゴルフ。介護人にも息抜きは必要。前日の昼4合もご飯を炊いたので、見舞いに来るという息子の分までチャーハンをつくりおき、二週間ぶり関越道を嵐山小川まで走り、ホームコースの小川カントリーへ。秋晴れのゴルフ日和、2組6人で楽しくゴルフ。一人カートに乗らず歩き通す。合間に息子にメール。「朝作っておいたチャーハンを温めて一緒に食べて下さい!他にスープも3種あるので、どれか温めて食べて下さい。昨日の夜の残り物もあります。二人で一緒に食事して頂ければと思います。」「一緒にお昼食べて貰いましたか?朝お米を2合磨いでおきました。炊飯器で炊いて、好きな『丼の素』を温めてご飯にかけて一緒に食べて下さい。温めるだけで食べられる煮魚や焼き魚のパックも冷蔵庫に入っています。パック入りのサラダなども冷蔵庫に入っているので、適当に食べて下さい。余裕があったら、掃除機を使い、風呂を流して、風呂掃除して貰えると嬉しい。」とメール。息子は疲れたと言って顔を出さず。結局妻は夕飯も特製チャーハンを食べる。自分のことで手一杯の子供を当てにしてはいけないと、あらためて確認。携帯片手のゴルフでは思うようにスコアは延びず、51、56と今回も100を切れず。翌朝出勤前に掃除機をかけ、風呂掃除、孫息子と保育園に同伴出勤後、出張。
 
東京のど真ん中での生活。近くの24時間営業のマルエツでなんでも手に入り便利。歩いて数分の所に病院があり、聖路加や昭和大豊洲病院などの大病院も近い。介護施設も幾つか近くにあり、銀座まで自転車やバスで15分ほど。東京駅も近く、通勤や出張も楽。それなりの対価も払うが、仕事しながら老々介護するには都合がいい。(続く)
 
干場 革治(ほしば かくじ)
職業:営業コンサルタント、顧問企業多数
1946年:秋田県山本郡八峰町八森(旧岩舘村)生まれ
1966年:東大教養学部文科Ⅰ類入学、75年法学部政治コース卒業後に同大学法学部私法コース学士入学、1977年中退。
69年11月佐藤訪米阻止闘争で7回目の逮捕・勾留、起訴、76年1月保釈。1年半の実刑、2審で3年の執行猶予、猶予期間の経過で刑の宣告は失効。
趣味:スキー、ゴルフ、水泳、サイクリング、ドライブ、読書、歌舞伎鑑賞、海外旅行
特技:素潜り